《愚見数則》3 知らないと大損する夏目漱石の処世訓
愚見数則の第3回です。
原文
勉強せねば
余は教育者に適せず、教育家の資格を有せざればなり、
勉強しなければろくなものにはならないと覚悟しなければならない。私自身が勉強をせず,しかも,諸君に対面するごとに勉強せよ勉強せよと言う。諸君が私のような愚かものになることを恐れているからだ。戒めるべき手本は近くにあるものだ。勉強しなさい。それに勉めなさい。
私は教育者には適さない。教育家の資格を有していないからである。その不適当である男が,生活のための金銭を得ることを求めて,一番得やすいものは,教師の地位である。これはいまの日本に,真の教育家がいないことを示すと同時に,いまの学生には,にせものの教育家でもお茶を濁して教授することができるという悲しむべき事実を示すものである。世間の熱心であろう教育家のなかにも,私と同感の者がたくさんいるはずだ。真正なる教育家を作り出して,これらのにせものを追い出すのは,国家の責任である。立派な生徒となって,このような先生には到底教師はできないと悟らせるのは,諸君の責任である。私が教育の場から追い出されるときは,日本の教育が隆盛になった時だと思え。
「殷鑑遠からず」は「”殷”の紂王が滅びる前には,決して大昔のことではなく,殷のつい前代の”夏”の桀王が悪政で滅びたことを戒めの教訓にすべきだった」というようなこと,また,「勉旃」は「旃(これ)を勉(つと)めよ」という意味のようです。
その次の流れでは,自嘲気味に自分はデモシカ的に教員になったと吐露します。
そのあとに続く「世の熱心らしき教育家中にも」というフレーズは,自分の周囲にいる教育家として振る舞うエセ教員たちを皮肉っているように僕には思えました。