ジタバタのかなた

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《愚見数則》2 知らないと大損する夏目漱石の処世訓

愚見数則の続き(第2回)です。

 

原文

昔の書生しょせいは、きゅうを負ひて四方に遊歴し、此人このひとならばと思ふ先生のもとに落付く、故に先生を敬ふ事、父兄に過ぎたり、先生もまた弟子に対する事、真の子のごとし、これでなくては真の教育という事は出来ぬなり、今の書生は学校を旅屋の如く思ふ、金を出して暫く逗留とうりゅうするに過ぎず、いやになればすぐに宿を移す、かゝる生徒に対する校長は、宿屋の主人の如く、教師は番頭丁稚ばんとうでっちなり、主人たる校長すら、時には御客の機嫌を取らねばならず、いわんや番頭丁稚をや、薫陶所くんとうどころか解雇されざるをもって幸福と思ふ位なり、生徒の増長し教員の下落するは当然の事なり。

 

勝手に現代文

昔の書生は学問のため故郷を離れて四方に旅を重ね,この人ならばと思う先生のところに落着く。それゆえに先生への尊敬は父や兄に対するよりも強かった。先生もまた,弟子に対して本当の子供のようであった。こうでなくては本当の教育という事はできない。いやになればすぐに宿を移す,このような生徒に対する校長は,旅館の主人のようなもので,教師は旅館の従業員で下働きである。主人の校長ですら,時にはお客の機嫌をとらねばならないのだから,従業員や下働きは言うに及ばない。教員の人徳などをもって生徒の人格を形成するどころか,解雇されないだけで幸せと思うくらいだ。生徒が増長し,教員の価値が下がるのは当然のことだ。

 

学問を身につけるために勉強するのが書生さんで,笈は本箱のことです。

「笈を負う」で学問をするために故郷を離れるという意味があり,“史記蘇秦伝” にある「負笈從師,不遠千里」がルーツのようです。

 

教育に関しては,明治時代にもいま言われているのと同じように主客転倒の状態が生じていた様子が窺えます。

学習意欲のない生徒が主人のようで,勉強させたい先生方がへつらうような風潮が赴任中の中学で見られたのでしょうか。なかなか辛辣な書き出しです。