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《愚見数則》4 知らないと大損する夏目漱石の処世訓

愚見数則の第4回です。

 

原文

月給の高下こうげにて、教師の価値を定むるなかれ、月給は運不運にて、下落げらくする事も騰貴とうきする事もあるものなり、抱関撃柝ほうかんげきたくやから時にあるい公卿くぎょうまさるのうつわを有す、是等これらのことは読本とくほんを読んでもわかる、ただわかつたばかりで実地に応用せねば、すべての学問は徒労なり、昼寐ひるねをして居る方がよし。

教師は必ず生徒よりゑらきものにあらず、たまたま誤りを教ふる事なきをせず、故に生徒は、どこまでも教師の云ふことに従うべしとは云わず、服せざる事は抗弁すべし、但し己れの非を知らば翻然ほんぜんとして恐れ入るべし、此間このかん一点の弁疎べんそれず、己れの非をしゃするの勇気はこれげんとするの勇気に百倍す。

 

勝手に現代文

月給の高低で教師の価値を定めるものではない。月給は運不運で下がることも上がることもあるものだ。関所の番や拍子木を打って見回りをすることを仕事にするような身分の低い役人が,たまに,もしかすると国政の最高幹部にまさる能力や人格を有する。これらの事は小学校の教科書を読んでもわかる。ただ,わかっただけで実地に応用しなければ,すべての学問はいたずらな骨折り仕事である。昼寝をしている方がよい。

教師は必ず生徒より偉いものではない。時には間違いを教えることがないとも保証はできない。だから生徒はどこまでも教師の言うことに従うべきであるとは言わない。飲み込めない事は抗弁して当然だ。ただし自分の間違いを知ったならば,即座に悔い改め恐縮するべきである。この間に少しの言い訳さえいれる余地はない。おのれの非を謝る勇気は,これを完遂しようとする勇気の百倍にも相当する。

 

周囲の教員よりも若いので安月給を生徒に揶揄されたり,誤りを指摘しても言い訳がましく謝らない生徒がいて,ハラ立つなぁと思ってたりしたんでしょうか。

 

”抱関撃柝” は ”抱関” が門番で ”撃柝” が拍子木を打ちながら警戒する人です。

身分の低い役人を指す言葉で ”孟子” が出典でした。

 

ネット上に孟子の翻訳サイトもあったので調べてみましたところ,

「食うために役人になるならば敢えて抱関撃柝のような身分の低い役人になって,身分の高い役人のように政治的な発言をすることなく,その身の丈に応じたことに甘んじるべきであり,かつて孔子もそのようにしたのだ」

というようなことを孟子が言ったという内容でした。

 

そのあとに孟子はちゃんと

「身分の高い役人は自覚してしっかりモノを言わなきゃだめよ」

と続けていました。ノブレス・オブリージュ(高貴さには義務も付帯する)というようなことでしょうか。

夏目漱石もそのことを踏まえて,「敢えて身分の低い役人になることを選択した人もいるだろうから,人の能力人格と肩書をごっちゃにしちゃいけないよ」と言っているのでしょう。

 

こんなことを図書館で調べようとすると一日では到底足りません。

ネットで得られる知識なんて駄目だというご意見もあるようですが,僕はここに共同体感覚のようなものを感じます。ご近所に何を尋ねても瞬時に答えてくれる博識で辛抱強い住職さんがいて 「いつでもおいで」 と応援してくれるような安心感・・・

夏目漱石がそのときどんなことをもとにそれを書いたか,そのたとえほんの一部だったとしても,調べてみようという熱が冷めないうちに短時間で知ることができるんですもんね。

 

ところで ”ゑ” は ”WYE” で表記できることも速攻で調べることができました。ゐはWYIです。

ありがたいことでありまする。