《愚見数則》1 知らないと大損する夏目漱石の処世訓
初回のごあいさつをいたしましたのち,どんなジタバタからお知らせしていくのが良いだろうかと・・・
夏目漱石が満28歳のときに松山の尋常中学に英語教師として赴任していたころに書いた一文 「愚見数則」 をチョイスしてみました。
僕にとって,これに出会ったことによる極めて良い方向への連鎖もあったので,思い出深い文章でもあります。
ネット上にもじわじわとファンがいらっしゃる様子で,共感できる方々の存在にとても嬉しい気持ちになります。
恥ずかしながら漢字の読みがわからない箇所などもあり,それらを調べながら読み進めるつれ,なんとも言えないリズムの良さとともに,明快な指針が示されるこの文章に,自分のなかで何かがはじけるような感覚がありました。
ではでは,はじまりはじまり・・・。
原文(当用漢字に改めたもの)
理事来つて何か論説を書けと云ふ、
これを勝手に現代文にすると・・・
理事が来て何か論説を書けと言う。私はこのごろ考えが底をつき,生徒諸君に示すべき事はない。しかし,是非に書けというならば仕方がない。何か書かねばならない。ただしお世辞は嫌いだ。時々は気に入らない事もあるだろう。また,思いだす事をそのまま書き連ねるので,箇条書きのようで少しも面白くないに違いない。ただし文章は飴細工のようなものだ。のばせばいくらでものびる。そのかわりに本当の中身は減るものと知る必要がある。
これが冒頭の書き出しです。
当時まだ無名の ”英語教員28才・夏目金之助” ながら,冒頭部分だけですでに見識に裏打ちされた自信が窺えます。
でも,「理事に頼まれたから仕方なく書くけど面白くはないよ」と軽くいなすふりをしながら,冗長に思いつきを書くことになりそうなことに対して若干エクスキューズっぽいニュアンスもあったりして,おちゃめな感じも醸されているように感じます。
このなかでは特に,
「文章は飴細工のごときものなり、延ばせばいくらでも延る」
の部分にピリピリッとしびれました。
要点を記した ”イチマイガミ” での説明を求められることも多かったので,自省のために覚えておこうと思った一節です。