《愚見数則》6 知らないと大損する夏目漱石の処世訓
愚見数則の第6回です。
原文
自信重き時は、他人
勝手に現代文
自分たちが多勢であることを当てにして一人を馬鹿にするな。自分が無気力であることを誰かれなく言い広めるのと同じことだ。このような者は人間のかすだ。豆腐のかすは馬が喰う。人間のかすは蝦夷松前の果てといった辺境へ行っても売れるものではない。
自己の能力や価値を過信するときは他人がこれを破り,自信が薄いときは自分でそれを破ってしまう。むしろ人に破られることがあっても,自分で破ることのないようにしなさい。
嫌味を取り去れ。知らないことを知ったふりをしたり,人の揚げ足を取ったり,あざけったりもてあそんだり、冷淡な態度で批評したりするものは,嫌味が取れないからである。人間自身のみでなく,詩歌や俳諧ともに,嫌味のあるものに美しいものはない。
”坊ちゃん” のなかに,いきなり数学の問題を尋ねられて,「後で教える」 と言って教場を出たら生徒達が 「解けないのだろう」 と囃し立てる声が聞こえ,馬鹿にされたと感じて腹を立てるくだりがあります。
よく似たようなことが実体験としてあったのかもしれません。
多勢を恃んで一人を馬鹿にするのは確かに見下げたことではありますが,”人間のかす” とまで言いきっているのは余程腹立たしかったのでしょう。
啖呵の切れも小気味よいです。
「自信薄きときは自ら之を破る、寧ろ他人に破られるゝも自ら破ること勿れ」 とあります。
何かがトリガーになって自分のなかにダメダメな気分が蔓延して,ドンドン落ち込んでいくようなことは僕にも経験がありました。
まさしく自分で自分の自信を打ち砕くようなことをしてしまっていた訳です。
客観的には一体何を非生産的な独り相撲をとってるんだというようなことなんですが,ハマりはじめるとなかなか這い出せなくなった記憶があります。
誰にでも共通するものではないでしょうが,僕が抜け出せたのは開き直ることができたからでした。
「あーもう知るかいそんなこと。少々カッコ悪くても最後にはなんとでもなるだろ」と思えるようになったら,急に楽になったような気がします。
浅かったからなのでしょうか。開き直って考えられるようになってからの回復は早かったように思います。
次回第7回は,その ”開き直るためのツール” となる具体的な考え方が記されています。
この文章に出会ったのはそんなことがあったずっと後でしたが,僕はその後も頭のなかで広がりそうになるダメダメ感を蹴散らすのにおおいにそのツールを利用させてもらいました。
乞うご期待であります。