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《愚見数則》13 知らないと大損する夏目漱石の処世訓

愚見数則の第13回です。

 

原文

人我ひとわれを乗せんとせば、差支さしつかえなき限りは、乗せられて居るべし、いざといふ時に痛くげ出すべし、あえ復讐ふくしゅうといふにあらず、世のめ人の為めなり、小人しょうじんさとる、おのれに損の行くことと知れば、少しは悪事を働かぬ様になるなり。

言ふ者は知らず、知る者は言はず、余慶よけい不慥ふたしかの事を喋々ちょうちょうする程、見苦みぐるしき事なし、いわんや毒舌をや、何事もひかにせよ、奥床おくゆかしくせよ、無暗むやみに遠慮せよとにはあらず、一言いちげんも時としては千金せんきんの価値あり、万巻まんがんの書もくだらぬ事ばかりならば糞紙ふんしに等し。

 

勝手に現代文

人が自分を乗せようとするならば,差し支えない限りは乗せられていればよい。いざという時に強く投げ出すのがよい。あえて復讐というのではない。世のため人のためだ。器量の小さい人は利益を基準とする。自分の損になることだとわかれば,少しは悪事を働かないようになる。

多くを語る者は真理を知らない。知っている者は語らない。余計で不確実な事をべらべらと言い連ねるほど見苦しいことはない。まして毒舌など論外である。なにごとも控えめにせよ。慎み深く上品にしなさい。むやみに遠慮せよというのではない。ひとことであっても時には千金の価値がある。膨大な情報が書かれた書物であってもくだらない事ばかりならば便所の落とし紙と同じだ。

 

問題が生じないうちは静かに同調するふりをしていて,いざという時に爆発すればいいんだと説きますところ,前回の流れも合わせ,西洋人の気質と比較して日本的な考え方のような気がしました。

疑問や違和感を即座に口にする西洋人に対して,状況のアドバンテージを読もうとする日本人というような・・・。

 

これに関連して,”孫子” には

「戦いをするうえで大切なことは,敵の立場に立ってその意図を把握し,術中に陥ったふりをして調子を合わせることである」(第十一 九地篇 九)

とあります。

この一節は第8回で出てきた ”脱兎の如く” と同じ節のなかにありますので,ひょっとすると 「乗せられて居るべし」と説く背景には ”孫子” が隠れているかもしれません。

 

 このごろは情報発信の手段や速度も当時とは全く異なり,各国が自国権益確保のために国際的な宣伝合戦をする様相にもありますので,あまり様子見が過ぎるといわれのない悪事の加害者であることを認めたことにされてしまいます。

 

「悪事をなすり付けられそうになったら,”ウソも百回作戦” に巻き込まれないように,その不当性を早めに広く発信しておくのがよいぞ」

と,いまなら漱石先生は生徒に教えるかもしれません。

 

つぎには「言ふ者は知らず,知る者は言はず」と続きます。

ネット上で調べますと ”老子” からの引用とのことでした。

ただ,老子が言うこの ”知る者” は,どうやら ”道(TAO)” を極めた聖人のことを指しているようです。

ですから引用元の文は「ベラベラ喋る奴ほど何も知らないもんだ。ワケ知りの人は黙ってるんだよ」というような軽いレベルのものではありませんでした。

 

漱石先生もそんなことは重々承知のうえで,語呂の良いこの言葉を生徒向けに便利に遣ったのでしょう。 

本当に大事なときにボソッと役に立つことを言うような穏やかな中学生も理想的ではありますが,そんな生徒ばかりだとそれはそれでナカナカな中学校になってしまうような気もします。

ご自分の生徒のなかにいた生意気なシッタカ君を戒めたかったのかもしれません。