ジタバタのかなた

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《愚見数則》15 知らないと大損する夏目漱石の処世訓

愚見数則の第15回です。

 

原文

めいやすんずるものは君子くんしなり、命をくつがえすものは豪傑ごうけつなり、命をうらむ者は婦女ふじょなり、命をまぬがれんとするものは小人しょうじんなり。

理想を高くせよ、あえて野心をだいならしめよとははず、理想なきものゝ言語動作を見よ、醜陋しゅうろうきわみなり、理想低き者の挙止容儀きょしようぎよ、美なる所なし、理想は見識けんしきよりず、見識は学問よりしょうず、学問をして人間が上等にならぬくらいなら、はじめから無学で居る方がよし。

 

勝手に現代文

天命をあまんじて受け入れるものは高潔な人格者である。天命をひっくり返すものは常識外れに度胸の据わった人である。天命をうらむものは男ではない。天命を免れようとするものは器の小さい者である。

理想を高くせよ。無理に野心を大きくさせろとは言わない。理想がないものの言うことや動作を見てみなさい,極めてみにくく,いやしいものだ。理想が低いものの立ち居振る舞いや身なりを観察してみなさい,美しいところはない。理想は本質を見据えた判断力にもとづく。その判断力は学問をすることによって生まれる。学問をして人間がすぐれたものにならないならば,初めから無学でいる方がよい。

 

「命に安んずるものは君子なり」

君子と小人の対比が出てきますので,ここでいう ”命” は具体的な誰かからの指示というレベルのものではなく,論語にある ”天から与えられた使命” というような大きな括りだろうと思います。

 

天命をうらむものは ”婦女” であると言います。あらあら。

 

個人がその生きている時代に思っていることを堂々と表明することに異論はないのですが,いまどきはポリティカル・コレクトネス(政治的に正しいかどうか)の影響を考えておかないと攻撃にさらされることもあるので,いまの時代の文章に置き換えると少々ドキドキしてしまいます。

 

例えば同じような括りとして,今の時代なら “めめしい” なんて言葉を遣うことにも相応の注意が要ります。

特定の人を攻撃する意図や性差をあげつらうつもりなど全くなくても,周囲に ”勧善懲悪趣味” の方々がいないかどうかをよく見極めておかないと,恰好のターゲットになってしまうこともあるでしょう。

 

論語でも 「君子は諸(いろいろなこと)を己に求め(内省し),小人は諸を人に求む(周囲の人のせいにする)」 と言っておりますので,読めるはずもない周囲の顔色を気にして他人に評価を任せることを習慣にしてしまうとストレスが溜まりがちになります。

先ほどの僕のドキドキはまさしくそんな感じで,まったく拍動の無駄遣いです。

 

最大公約数的な気遣いができる人を,他者は案外そんなにありがたがってはいないと思います。 

敵じゃぁないけど,一緒に戦ってはくれなさそうな感じ・・・ですからね。

 

 

「理想低き者の挙止容儀を見よ、美なる所なし」 

第9回では,見た目で損することもある件についてご紹介しました。

この回では「理想低き者の挙止容儀を観よ、美なるところなし」と書かれています。

 

理想が高くても「 ”観た目” が美しくないなぁ」なんて思われてしまうと,瞬間的には損することもあります。

 

逆に言えば,

見栄えに気配りをすることで,他人の評価という程度のものは簡単にまどわせることができる

のです。

 

それが 「他人の評価なんて ”相場” であって ”値打ち” ではない」 という第7回の内容にも通じます。